その2.ベルギーの地理・歴史、ビールの歴史

日本酒が日本の風土の中で長い時間をかけて育まれてきたように、ベルギービールもまた、ベルギーの風土と歴史の中で今の形へと少しずつ進化してきました。知っているようで日本人にはあまり知られていないベルギーの地理・歴史、そしてベルギービールの歴史についてご説明します!

西ヨーロッパのど真ん中・EUの「首都」がある国

ベルギーは、ヨーロッパ大陸の北海沿岸。グレートブリテン島の向かい側に位置する立憲君主制の連邦国家です。人口は約1千万人で東京23区よりやや多いくらい。面積は約3万平方キロ、四国よりやや大きく関東1都6県と同じくらいの広さ。それぞれ日本の1/12くらいの規模の国です。周辺をフランス、オランダ、ドイツ、海をはさんでイギリスに囲まれるなど西ヨーロッパの中心に立地しており、首都ブリュッセルにEUの諸機関が集中することもあって「ヨーロッパの首都」とも呼ばれています。ヨーロッパの中心にあるベルギー、ベルギーへ旅行の際はフランスパリへ立ち寄る、イギリスロンドンへ泊まってからベルギーへ行く等、せっかくなのでヨーロッパの他の国をも訪れてみてください。

ベルギーという地域自体は、有史以前から人の住む土地だったようです。地中海文明~ローマ帝国~フランク王国~ブルゴーニュ公国~フランス~スペインなど様々な勢力の支配下・影響下に入りながら、国としての歴史は意外と最近、1830年にネーデルラント連合王国(旧オランダ)より分離独立してからとなります。オランダの他、隣の大国フランス・ドイツなどの影響もあり、国は大きくオランダ語圏である北部(フランデレン地域)と、フランス語圏&一部ドイツ語圏である南部(ワロン地域)、そして首都があるブリュッセル地域に区分されています。北部は平野に恵まれ近郊農業や養豚・養鶏などに向いており、南部は高地がち・冷涼で放牧に向いた土地になっており、文化・風習の地域差を、風土的な面でも特徴づけています。

今日の「ベルギービール」は中世の修道院ビールが起源

ベルギー地方では古代よりビールが作られており、紀元前2千年前とも3千年前とも・・・少なくともローマ帝国に支配される前、ケルト人が一大勢力を築いていた頃には、既にポピュラーな飲み物になっていたようです。メソポタミアやエジプトで発明されたビールは麦芽を一度パンにしてから発酵させて作るものでしたが、ケルト人をはじめとした北方民族のビールは麦芽を直接粉末にして発酵させる製法をとっており、今日のビールの原型とも言えるものでした。

その後時は大きく下り、中世・11世紀頃。ワロン地域のシメイ街にあるスクールモン修道院がビールの醸造を始め、これが、今日のベルギービールのルーツになったと言われています。そして、フランス支配期の14世紀に国王ジャン1世がビール作りを推奨したことや、中世の小氷期に入りワインに適したブドウが採れずビールがアルコールの中心になったこと、良質なホップが採れず香辛料・香料を使う製法が駆逐されなかったこと等、様々な要因が重なり合い、世界に類を見ないほどの種類を擁する厚みあるビール文化が育まれていきました。

さらに時が下り19世紀後半には、設備の近代化や醸造学的な知見も採り入れられ、今日同様の安定した製法が確立されるに至っています。

そして1980年代、その味は世界を駆けめぐり、日本まで

二度の世界大戦を乗り越えた1950年代終盤。EC(EUの前身)の本部がブリュッセルに置かれると、ベルギービールの存在とその美味さは外国人にも知られるようになります。交通機関の発達により国外旅行が普及したことも支えになり、欧米のビール通を中心として、コアなファンが徐々に増えていきました。

そして1984年、「ビールハンター」と呼ばれたイギリスの名ライター、マイケル・ジャクソン氏(米国の歌手とは別人)の著書、“The World Guide to Beerで紹介されたことをきっかけに、ベルギービールは世界中で人気を博すようになりました。遠く離れた日本でも、1980年代のうちに東京で専門店が開業しています。

参考・参照

ベルギービールを楽しむ会 事務局 の紹介

「ベルギービールを楽しむ会」事務局用のアカウントです。

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